秋元康から学ぶ「面白いという事」
youtubeに秋元康のドキュメンタリーがあったから見てみた。
https://www.youtube.com/watch?v=wbtnjyqB_oE
ドキュメンタリーって面白いよね。学ぶところが凄く多い。
まだ2までしか観てないけど、特に印象に残ったのは二つ。
1つ目。女性起業家向けの講演会で、秋元康が舞台上で対談する予定の女性起業家達と登壇前に挨拶を交わした後のシーン。
秋元康は、スタッフにキレる。
「なんでこんなに段取り通りなんだ。」
「俺だったら先に対談者と会わせたりはしない。舞台上で初めて会って、どんな事業をされてるんですかとかそこで初めて話す内容こそが面白いじゃないか」
さすが。これが秋元康の考える面白いという事なんだなと思う。
不完全性。予測不可能性。
最近のテレビを見ていると、よく思う。
台本通りの事を喋って、付け足しの笑い声が入る。全部このパターン。
VS嵐とかも、話を振るタイミングが決まっていて、ゲストがする話が決まっていて、全部丸出し。こんなん面白いわけがないやん。
確かに、テレビとしては成立しているけど、それだけだ。
そこには面白さも、笑いも、感動も無い。
つまり最近のテレビは、ガッチガチすぎるのだ。
昔のテレビが面白かったのは、大部分をタレントの才能、つまり「アドリブ」で構成されていたからだ。
これを見て欲しい
これが、面白いテレビである。
才能と才能、個性と個性を土壇場で本気でぶつけ合うからこそ面白い。
そこで何が起こるかわからないからこそ面白いのだ。
台本や企画は、大体の流れであり、大枠。中身は、未知数。
これで無ければ、面白いわけがない。
かつて島田紳助が松本人志とやっていた「松紳」という番組でこう語っていた。
「大阪の番組でなぁ、クイズ番組やねんけどなぁ、喋り過ぎてしまうねん。クイズ1問目行くときにはもう1時間回ってるねん」
これで良いのだ。クイズ番組と謳っておきながら中身が紳助のトークばっかりだったとして、誰が文句を言うだろうか。
中身は、自由で良いのだ。
最近の台本、企画でガチガチのテレビ番組は、本当に心から見る気が無くなる。
最近のタレントは、台本通りの言葉をしゃべるただの人形だ。そこには何の個性も無ければ、価値も無い。
スターではない。中身を感じられないからだ。スタッフの言いなりになるだけのスターがどこにいるだろう。
そりゃ、テレビ局側の事情は分かる。
変なものを移せない時代になったし、企業としてデカくなりすぎて若手の意見は通らないだろう。
でも、企画ガチガチのクソ予定調和番組を映すくらいなら、まだ砂嵐を映しといたほうが僕はマシだと思うのだ。
その方が、プライドがあるってもんだ。
偉そうにも進言するけれども、まずテレビ局は、規模を減らそう。
ダイエットして、スリムになろう。
リストラしまくるのだ。人員を減らそう。固定費を減らそう。
その結果、雑な番組が増えても仕方ない。砂嵐が増えるかもしれない。
でも、経費を減らしてるから大丈夫やし、そこを、どうにか見れる番組にしようと頭を使い、情熱を使う事で、素晴らしい番組が生まれてくる。
新たな発想がギリギリの瞬間に生まれる。
まぁ、無理やろうけどね。
偉いジーサンには、勇気が無いからな。